自殺しなかった夜がある

 

もう10年以上前、高校生の頃。

 

自殺してしまえば、楽になるんじゃないかと考えた夜がある。

 

何日もある。

 

 

結局自殺はしなかったし、自殺なんて出来なかったらかもしれない。

でも、もしかしたら、、

何かその一線を越えてしまう少しのきっかけがあったら、本当に自殺していたかもしれない。

 

 

死を考えると、どうしても母や父、祖父母の顔が浮かんできた。

自分の大切な人を悲しませたいわけじゃない。

 

でも、私の辛い現状やどうしようもない気持ちや自己嫌悪を家族や友人や誰かが解消してくれるわけじゃない。

 

 

消えてしまいたい。

自分の存在がなかったことになればいいのに。

生まれてこなければよかったのに。

 

 

消えたい、

人の記憶ごと消えたい、

生まれてきたくなかった、、

 

 

そう思って、あらゆる死の方法を模索していた。

 

 

夜がくるたびに自分のことが嫌いだという現実に耐えられなくなり、

こんなに辛いのに何のために生きているんだろうと考え、明日が来るのがこわくて仕方なかった。

 

明日がきたら、また否応なしに1日が始まってしまい、社会的な'わたし'と向き合わなくてはいけなくなる。

 

他人と接すると、自分がダメで弱くてどうしようもないことを何度も何度も実感しなくてはいけなくなる。

 

 

こんなにダメな私が存在する意味はある?

 

 

学校で過ごす間や、家族と接する時間は、普通の高校生だったと思う。

 

他人からは絶対に分からない。

別に苦しみを知って欲しいわけじゃない。

 

そんなことで?と思われるのが恥ずかしい。

 

みんなが普通に出来ている日常を

生きているだけで精一杯だなんて、

気づかれたくない。

 

でも毎日ギリギリで、精一杯で、私のキャパを超えてしまっていた。

 

 

死ななかった

というのが現実であり、結果。

 

別に乗り越えたわけじゃない。

そんなかっこいいものでもないし、美談にするような話もない。

誰かが助けてくれた記憶はない。

 

 

死の誘惑をどうにかごまかしながら、なんとか毎日を重ねていた。

 

前向きな言葉や、希望が自分を支えてくれたわけじゃない。

どちらかというと、同じような絶望の気持ちに触れることで少しだけ癒されて、夜をなんとか越えていた。

 

 

死にたかった。

 

死にたい毎日をなんとかこえて、死にたいという気持ちは過去になった。

 

 

今では、こんなに楽観的でポジティブな自分がいる。

 

自分のことは、別に嫌いじゃなくなった。

 

 

死にたい夜を越えるのは容易ではない。

 

確約されない未来に、希望は見出せない。

 

 

でも私は死ななかった。

 

 

だから今、大切な日々がある。

 

 

自分しか知らない、自殺しなかった夜。

 

 

自殺しなかったあの日の自分には、感謝しかない。