『すずめの戸締り』を観た感想※ネタバレあり

今日公開の新海誠作品『すずめの戸締り』を観てきました。ネタバレありの感想を書きます。とっちらかった、自分のまとめのための感想です。

 

まず、率直におもしろかったよ、とまだ観ていない夫には共有。ただ、それだけでは言い表せないいろんな感情を掻き立たせる作品だった。

 

この映画は3.11の映画であり、当時の記憶がある者としては、あまりにも現実すぎてファンタジーの物語に没入しきれなかった。ただ、この作品のメッセージはそこにあるのかなとも思う。

 

私は被災者ではない。

3.11が起きた当時、繰り返し流される津波地震の映像をテレビ越しに呆然と見つめるしかなかった。次の日から予定があったにも関わらず、寝ることができずに一晩中テレビを見つめていた。あの時に感じた、自然災害への恐怖、自分の(人間の)無力、命やそこにあった生活が無になる瞬間の絶望感。そしてその後何年もかけて被災者の方々の生活や想いをリアルタイムで見てきた

と、言ってもほとんどはテレビの中でである私ですら、終盤すずめが母を探して歩くシーンや、あの映像はあまりにもリアルな現実すぎて、その現実に対して涙がとまらなかった。

決して感動の涙ではない、と、映画館で泣きながら思ってしまった。

 

すずめは作品の中で自分の震災の体験や、母との別れを、「生きていくしかない」「自分を大切にしてくれる人はたくさんいる」という形で消化するのだけれど(大雑把ですみません)、

あの震災によって失われたものがあまりに大きく、その衝撃が未だに蘇ってくる私としては、

そうやって前向きに、純粋に飲み込めるものじゃないよな、、というのが正直な感想だった。

 

もちろん、すずめの感情も、'母の死を乗り越えた'という、あまりにもすっきりとした表現では言い表せないように描かれているし、きっとこれからも釈然としない思いや無力感や後悔を抱えて生きていくはずだ。

 

ただ、ファンタジー要素や恋愛描写でそこまで重くならないようにバランスがとられている影響からか、

なんだか誤魔化されたような気持ちになり、これはハッピーエンドと言えてしまうがそうあってはならない、という私の個人的な意見が邪魔をして、

最高の映画でした!と手放しで喜べるような感想は抱けなかった。

 

 

ただ自然災害や、大切な人との別れに対して、「ここで生きていた人に想いを寄せる」「残された私たちは生きていくしかない」「自然には勝てないけれど1分でも多く存えたい」という気持ちは共感できるものだった。

すずめが旅をしながらたくさんの人の愛に触れることが、このメッセージの説得力をあげる展開もよかった。

だからラストの展開を完全に受け入れはできずとも、すずめ自身がそうやって過去を受け止めて消化したのだ、というところは納得できた。

 

そして、あの震災を知っている世代の私にとってはあまりに残酷な現実を描いているけれど、

今の若い世代にとっては昔の出来事であり、

それは私にとっての第二次世界大戦阪神淡路大震災に当たるんだろうな。

リアルタイム世代じゃなければ、もっとうまく作品としてこれを楽しめるし、ピュアな気持ちで受け止めて納得出来るんだろうなと思う。そして若者はそうやってこれを観て、震災に思いを馳せてくれれば良いと思う。

そしてリアルタイム世代の私たちは、あの現実を思い出して風化させないというところを、もしかしたら新海誠監督は狙っているのかもしれない。

そうだとすれば狙い通りなのだけれど、あまりにもヘビーだった。

感動系ファンタジー作品としてもう一回観よう♪という気軽さは全くなく、もしまた見ることがあるとすれば、私の中ではヘビーな映画を覚悟して観るということになる。

3.11の震災をもろにテーマにするということは、ファンタジーや恋愛要素で明るいには振り切れないんだろうな。

 

叔母さんや芹澤さん、その他度で出会う人々のキャラクターがとても良く、物語のテンポも良かったし、

ファンタジー要素の設定が分かりやすく、話の展開に無理がないのも良かった。

映像は綺麗だし、RADWIMPSのミュージカルみたいになってないのも良かった。

 

トータルの感想としてはおもしろかったけれど、

好みじゃなかった部分としては

・震災の部分が飲み込みきれないということ

・あのネコ!

あの子たちの心理や行動はイマイチ理解出来なかった

・恋愛に結びつけるところはやや強引な気が、、(すずめの行動原理、別に完全な恋愛じゃなくても良くない?いや、恋愛だけじゃないんだろうけど、好きだからなの!?そうなの!?!?好きなの???なんで??ってなってしまった。

たぶん、ソウタを助ける怖いものなさなところも、過去の喪失体験からきてる決心みたいなものだと思うのだけれども、好きだから、みたいに見えてしまうのがなんか残念だった)

 

引っ越しをします(3年半ぶり5度目

引っ越しをする。ちょっと寂しい。

 

 

子どもができたと分かった時から、早く引っ越したいと言っていたけれど、、いざとなるとやっぱり寂しい。

 

 

この部屋にはいい思い出しかない。

 

ダンボールだらけの部屋で、寂しい気持ちに浸りながら思い返す。

 

遠距離だった彼氏と同棲し、結婚し、子どもが生まれ、、

この部屋に住んだ3年半で、私の人生にとって重要な出来事がたくさんあった。

 

この部屋に住む前「同棲」「結婚」「出産」の言葉を重く感じていて、それを現実にしてしまうのは、なんとなく怖かった。

覚悟はないし、未来設計もなかった。

でも一方でそれを望む自分もいた。

だから全てを通過してここにいる。

 

今となってはどの言葉にも具体的な思い出があり、それが想像していた以上に幸せで、考えるとじんわりと暖かい気持ちになる。

 

 

初めてこの部屋に来た日。

 

少し先に住みはじめていた彼氏が駅まで迎えに来てくれて、部屋まで案内してくれた。こんな大都会に住んだことがなかったから、駅から部屋までのキラキラした看板や人がたくさんいる景色に圧倒されていた。部屋にはまだ家具はほとんどなくて、彼が持ってきた衣装ケースと布団だけがあった。遠距離が終わること、さよならが嫌だった日々が終わることが嬉しくて嬉しくて、、、何もない部屋に幸せな現実と楽しみな未来が見えていた。

 

はじめの数週間は洗濯機がなくて、コインランドリーに通っていた。洗濯を待つ間、彼とコンビニで買った肉まんを食べながら待つ時間が好きだった。

 

彼がウーパールーパーをどうしても欲しがって、家具をそろえるより先に、水槽とウーパールーパーを買った。ウーパールーパーは想像のはるか上を行くアホっぽさで、とっても可愛くて、餌をあげながらずっと眺めていた。

 

何もない部屋で彼がタライを置いて、広々とスペースを使ってスニーカーを洗う日曜の昼間があった。

 

近くに美味しいピザ屋さんを見つけて、何度も通っていたら店員さんと仲良くなった。今まで食べたピザの中で、いちばん美味しいピザだった。

 

私より彼が先に仕事を終えると、いつも駅まで迎えに来てくれていた。みんなが駅に向かって帰宅する中、逆走して帰宅すると、ほんの少しだけ優越感を覚えた。

 

家具を少しずつ買いそろえるたびに模様替えをした。1年で3回くらい大幅な模様替えをして、1年経つころ大きなテレビを買った。それ以来、だいたいの配置が決まった。

 

遠距離恋愛をしていた時。

デートの合間に入った電気屋さんで、大きいテレビが欲しい、彼と一緒に大きなテレビで映画を観たいと言ったら、彼が賛同してくれて、、

あの瞬間から同棲したいと思うようになった。だからテレビを買うのは、私の中でひとつの同棲のゴールだった。

 

大きなテレビ(ついでにスピーカーも)で、何本も映画をみて、アニメを見て、ドラマを見て、スポーツを見た。

 

入籍する前の日は、徹夜してネトフリでバチェラーを見ていた。いつも通りの日曜日に、婚姻届を出しに行った。いつも通り、歩いてアクセサリー屋さんに行ったり、お店をみてまわった。

 

同棲と入籍はたいして変わらなかった。毎日も変わらない。でも私の苗字が変わって、お互いの家族を知った。

 

彼が出張でいない日は寂しかった。ひとりでいる部屋は面白くない。やってることはいつもと同じで、動画を見たらケータイをいじって過ごしていたけれど、彼がいないだけで退屈で無駄な時間に感じてしまう。

 

夏がくるとウーパールーパーの水槽がいつも濁って、彼と相談しながら何度も対策を打って、そうこうしているうちに水槽がどでかくなった。ウーパールーパーは大きくなってもポンコツでかわいかった。

 

彼が大切なTシャツを洗ってプリントがとれてしまった日、私は涙を流して笑い、彼は悲しみで涙を流す寸前だった。

 

少しずつスニーカーや靴が増えていき、その度に私は苦い顔をしたけれど、彼がとても楽しそうにそれを身につけ、それについて語る姿はとても好きだった。

 

毎日毎日、子どもが生まれるまではほとんど毎日、一緒にお風呂に入った。

 

彼が髪を伸ばし始め、いつしか私より長くなった。

 

子どもが出来たとわかった日、彼はアルコールに逃げた。酔っぱらう彼を愛おしいと思った。私も、子供を持つ覚悟なんて決まらなかった。でも嬉しかった。母親になりたかった。父親になった彼を見てみたかった。

 

悪阻の中、彼はとても優しかった。

 

いまだに思う。妊娠は一人じゃなかった。

悪阻で気持ち悪くて毎晩嗚咽していたことも、大きくなるお腹で寝苦しかったことも、少し歩くだけで息切れしていたことも、働くのが大変だったことも、そして出産も、知っているのは私と彼だけだ。妊娠した瞬間から、彼が私と私のお腹を気遣ってくれた日から、2人で子育てをしていると思う。

 

彼が寝言で私のお腹を心配し、寝ながらもお腹を撫でてくれた夜は、嬉しくて泣きそうになった。

 

ウーパールーパーが死んじゃって泣いた日があった。

どうしてあげることもできなかった。

その日は雨が降っていたけれど、彼が一緒にウーパールーパーを土に埋めに行ってくれた。この部屋に最初から一緒にいたウーパールーパー。毎朝声をかけて家を出ていた。ウーパールーパーがいたおかげで、癒された日があって、笑った日があった。

 

悲しみが全くはれないうちに、彼がリュックに亀を入れて帰ってきた。声を出して驚いた。

今は亀が家族になった。

 

出産の日が近づくにつれ、彼を好きな気持ちが大きくなっていった。こんなに人を好きになれるんだと思った。幸せで怖くなった。手を繋いで寝たいのに、お腹が苦しいことが恨まれた。

 

陣痛が来た日。彼はずっと励ましてくれていた。私よりもそわそわしながら、手を握ってくれていた。何の迷いもなく仕事を休んで付き添ってくれた。

 

子供を生んで、退院した日。

早く退院したかったので、家に帰れた嬉しさで泣いた。彼が子供を愛でる姿が愛おしいすぎて泣いた。ありがとうと何度彼に伝えても足りないと思った。

 

里帰りをして再びこの部屋に戻って、一緒に子育てをした。

彼は子供を毎日愛でて、私と一緒にオムツをかえたりお風呂に入れたりしてくれた。

妊娠の時と同じ。

子どもが初めて声を出して笑った日や、手を見つけた日を知っているのは、私と彼だけだ。こうやって一緒に親になっていく。

 

この部屋には楽しくて幸せな毎日があった。

もしかしたら、この部屋で過ごした3年半が、人生でいちばん幸せな日々だったと思うかもしれない。

 

それくらい、幸せな思い出ばかりだ。

 

悲しいことも、ケンカもあったけど、でも思い出は幸福感に溢れている。

 

引っ越しをするのは寂しい。

 

過去を思い返すと、引っ越してきたどの部屋にいた自分も別人のような感じがする。

部屋が変わると生活の景色が変わってしまう。記憶は思い出になって、非現実的なものになってしまう気がする。遠い昔の夢のような出来事になってしまうような気がする。

 

だから少し寂しい。

 

 

でも引っ越しても、今までと同じく彼がいて、亀がいて、子供がいる。

 

場所は変わるけど、家族はかわらない。

それが希望だ。

 

毎日を過ごすことで、日々を重ねることで、いつの間にか人生の中の大事なイベントといわれるモノたちをクリアしてきた。

 

目の前の現実を楽しく、家族を大切に、、そんな毎日を送っているうちに、また幸せな思い出を増やしていけたらいいなーと思う。

自殺しなかった夜がある

 

もう10年以上前、高校生の頃。

 

自殺してしまえば、楽になるんじゃないかと考えた夜がある。

 

何日もある。

 

 

結局自殺はしなかったし、自殺なんて出来なかったらかもしれない。

でも、もしかしたら、、

何かその一線を越えてしまう少しのきっかけがあったら、本当に自殺していたかもしれない。

 

 

死を考えると、どうしても母や父、祖父母の顔が浮かんできた。

自分の大切な人を悲しませたいわけじゃない。

 

でも、私の辛い現状やどうしようもない気持ちや自己嫌悪を家族や友人や誰かが解消してくれるわけじゃない。

 

 

消えてしまいたい。

自分の存在がなかったことになればいいのに。

生まれてこなければよかったのに。

 

 

消えたい、

人の記憶ごと消えたい、

生まれてきたくなかった、、

 

 

そう思って、あらゆる死の方法を模索していた。

 

 

夜がくるたびに自分のことが嫌いだという現実に耐えられなくなり、

こんなに辛いのに何のために生きているんだろうと考え、明日が来るのがこわくて仕方なかった。

 

明日がきたら、また否応なしに1日が始まってしまい、社会的な'わたし'と向き合わなくてはいけなくなる。

 

他人と接すると、自分がダメで弱くてどうしようもないことを何度も何度も実感しなくてはいけなくなる。

 

 

こんなにダメな私が存在する意味はある?

 

 

学校で過ごす間や、家族と接する時間は、普通の高校生だったと思う。

 

他人からは絶対に分からない。

別に苦しみを知って欲しいわけじゃない。

 

そんなことで?と思われるのが恥ずかしい。

 

みんなが普通に出来ている日常を

生きているだけで精一杯だなんて、

気づかれたくない。

 

でも毎日ギリギリで、精一杯で、私のキャパを超えてしまっていた。

 

 

死ななかった

というのが現実であり、結果。

 

別に乗り越えたわけじゃない。

そんなかっこいいものでもないし、美談にするような話もない。

誰かが助けてくれた記憶はない。

 

 

死の誘惑をどうにかごまかしながら、なんとか毎日を重ねていた。

 

前向きな言葉や、希望が自分を支えてくれたわけじゃない。

どちらかというと、同じような絶望の気持ちに触れることで少しだけ癒されて、夜をなんとか越えていた。

 

 

死にたかった。

 

死にたい毎日をなんとかこえて、死にたいという気持ちは過去になった。

 

 

今では、こんなに楽観的でポジティブな自分がいる。

 

自分のことは、別に嫌いじゃなくなった。

 

 

死にたい夜を越えるのは容易ではない。

 

確約されない未来に、希望は見出せない。

 

 

でも私は死ななかった。

 

 

だから今、大切な日々がある。

 

 

自分しか知らない、自殺しなかった夜。

 

 

自殺しなかったあの日の自分には、感謝しかない。

 

 

妊娠が発覚した時のことを残しておく

2019年7月 妊娠発覚

この時点でおおよそ妊娠5週目

 

昔から子供が欲しかった。結婚して1年と少し。とても嬉しかったけれど、どちらかというと驚きと戸惑いが大きかった。少し前に多量に飲酒したことへの後悔に苛まれた。

 

正直、自分が妊娠できると思っていなかった。

昔から生理不順があり、20歳の頃には高プロラクチン血症を指摘されていた。私の母親は、結婚してから長女である私を妊娠するまで7年かかっている。

なんとなく、自分も不妊症なんだと思っていた。若い頃から、子供を授からない覚悟をしていた。

今になってひとつ正解だと思うのは、大学生のころから低容量ピルを服用していたこと。本当にそれが良かったかどうかはわからないけれど、生理不順のままだったら、私の子宮はきっともっとサボっていたと思う。ありがとう、昔の自分。

 

まさか妊娠しているだなんて思っていなかったから、なんとなく吐き気がするのも、胃がむかむかするのも、飲酒の後遺症だと思っていた。さすがに1週間以上続いたので、おかしいと思って検査した。

妊娠検査薬をしたのはこれで人生3回目。

1回目、2回目は、まだ未婚で子供が欲しいなんて思っていなかったから、陰性で安心したことを覚えている。

3回目、自宅のトイレにて。仕事から帰ってきて夫に内緒でこっそり検査をした。わりとすぐに陽性の反応が出たので、なにかの間違いかと思った。信じられなかった。かなり動揺していたと思う。

どうしよう、夫に言うべきだろうか。

病院に行って確定してからがいいのだろうか。

トイレに10分くらい引きこもっていたから、夫は不思議に思っただろう。

いろいろ考えたけれど、自分だけで抱えられる心理状態じゃなかったので、結局すぐに夫に報告した。

 

「ねえ、妊娠したかも」

 

私よりも何倍もうろたえて、信じられない、受け入れられない夫の姿に笑ってしまった。

夫は、なんでそう思うのか、現実のことなのか、と私を問いただした後、近所のコンビニに強いお酒を買いに出た。

飲まなきゃやってられない、と。

 

夫のうろたえる姿を見て、私はだんだんと落ち着いてきて、妊娠したことへの喜びの感情が湧いてきた。

本当に妊娠することが出来ているなら、それはとても嬉しいことだ。まだ信じられないし戸惑いもあるけれど、私は母親になりたい。

私は、夫と一緒に親になりたい。

自分のお腹の中にいるのは、まだ人とも言えないようなものだろう。それがとても尊く感じるのだから不思議なことだ。

 

流産の可能性はまだまだずっと拭えないし、妊娠が発覚する今日までの間、お酒を飲んだ後悔があり、喜びの感情だけに浸ることはできなかった。

でも、妊娠出来たという事実がじんわりと嬉しい。

横で酔っ払い始めた夫が愛おしい。

家族でありたいと再確認する。

 

私はこの日から妊婦になった。

自分の身体を、こんなにも大切だと思ったことはない。貴重な1日。

 

 

4月1日の日記

 

母から「おめでとう」のラインが届いた。

その数秒後に、父からも同じ文章が届いた。

 

4月1日

 

私は一人で桜を見に行こうと家を出た。

家を出て曇りだと気づいた。思ったよりも気温が低くて肌寒い。桜を見に行くことを5分くらいで諦める。

桜はもう、来年でいいや。

雑貨を見て、生活に必要な食料を買って、本屋さんをブラブラして、また家に戻る。

いつも通りの休日。

家に帰って、映画を観て、お風呂にゆっくり入る。

ゆるい1日。

ひとりの休日。

 

4月1日

 

新しい元号が発表された。

令和

まだ慣れないけれど、なんだか良い響きだと思う。

私は今日が楽しみだった。

平成生まれなので、平成になった時のことを知らない。正直、元号なんて、なんだって構わない。

でも日本がお祭りのように騒がしくなるのは楽しい。

私は日本人だ。日本人はあと1ヶ月で、新しい時代を迎える。

 

4月1日

 

今日は結婚記念日だ。

去年の今日、入籍した。

去年の3月31日はNetflixでバチェラージャパンをオールで一気見した。4月1日の昼まで寝て、起きて、そして仮のプレハブみたいな渋谷区の庁舎に行き、婚姻届を出した。

今日よりも暖かい日だった。

その後千駄ヶ谷まで歩いてお散歩して、帰って来た。

入籍をしたこと以外、何も変わらない1日だった。

穏やかな、私の好きな日常だった。

 

 

この1年間、 思い返すと幸せだったと思う。

 

夫のことは穏やかに好きだ。

一緒に暮らす日々は完璧じゃないけど、

丁寧な暮らしとは程遠いけど、

友人みたいに楽しくて、昔から家族だったみたいに、自然な毎日を送っている。

 

支え合ってるとか、助け合ってるとか、愛し合っているとか、そんな感覚はない。

そんなドラマチックな映画になるような夫婦じゃない。

 

ただ、同じ家に住み、お互いの生活を見守り、たまにイラッとしたり、たまに笑いあったりしながら、存在している。存在し合っている。

私としてはそんな感覚。

 

結婚して1年だと言うと周囲の大人たちには、

今が1番幸せな時だね、

と、よく言われる。

 

そうなのだろうか。

それはまた、一年ずつ進んでみないと分からない。

 

いつか嫌いになる日が来てもおかしくないと思う。

一生の愛なんて、全く保証できない。

1日の中でも、好きだと思ったり、嫌いだと思ったりするんだから。

 

でも、それと同じくらいの確率で、

いつかもっと好きだと思う日が来るかもしれない。いつかドラマチックな出来事が起きて、助け合ったり、愛し合ったりする時がくるかもしれない。

 

とにかく、どんな未来が来ても、

お別れするまでは、今の夫と、毎日、互いの人生に存在し合いたいと思っている。

 

 

思えば4月1日は、入学したり、進級したり、就職したり、祝われることが多かった日だった。

両親が祝ってくれるなんて、今までも、今日も、これからも、素敵な日だと思う。

 

エイプリルフールで面白いなと思ってこの日にした。去年は大安だったから、この日にした。でも1年たって、また4月1日を迎えてみると、桜が綺麗に咲いて、新しい年度で、みんなが覚えててくれて、

いい日だなぁと思う。

 

 

夫は今日、出張でいないけれど、

ひとりで迎えた初めての結婚記念日も、何だかんだいい日だった。

 

ギリギリの生活の繰り返し

桜が綺麗です。3月30日。

これは本当に中身のない日記。

 

 

睡眠時間が足りない。

クマもひどいし、瞼が重い。

頭はこめかみをずっと押されているような鈍痛が続いている。

浮腫んだ足で職場に向かう土曜日の朝。

 

アラサーになって、こんなギリギリの生活をしているなんて考えられなかった。

体力もギリギリだし、体と一緒に心もギリギリ。

 

思えば、心に余裕のある生活をしていたのは、小学生までの時と、大学の1.2年生の間だけだった気がする。

 

人生のほとんどはギリギリの生活。

きっとこれからもそうなんだろう。

 

 

ギリギリって、

辛うじてセーフ

なんとか耐えている状態

余裕が皆無

という意味なんだけれども

 

私は、時間もないし、心身ともに余力がないし、お金もない。

だからギリギリ。

 

ギリギリじゃなくて、アウトになってしまったらどうなるだろう。ギリギリを超えてしまったらどうなるだろう。

病気になっても、仕事を失っても、家族を失っても、借金があっても、そのために生活が破綻してしまっても、どうにか生きていけるのが日本だ。

どこからがアウトなんだろう。

 

何らかの部分が向上していたら余裕がある?

現状維持しか出来ない状態がギリギリ?

状態が悪化していたらアウト??

 

今までの生活を振り返ると、肉体・精神・経済・家族のどこかがアウトになってしまったことなんてたくさんある。

幸い、全部がアウトになったことはない。

 

今は、現状維持が精一杯だからギリギリ。

 

 

仕事を終え、空いている山手線に乗って帰る土曜日の夜。朝飲んだリポDの効果は、とっくになくなっている。眠い。すごく眠い。

足が疲れた。頭はぼーっとして働かない。

 

 

人生のほとんどはギリギリの生活。

きっとこれからもそうなんだろう。

そしてそのギリギリの生活を送る人々はみんな、「普通の人」と言われる人たちなんだと思う。

 

普通って大変だ。

普通って立派だと思う。

 

 

腐女子は誰でもなり得る

腐女子

 

私が説明するまでもないくらい、一般的な言葉になった。

 

10数年前、私が高校生のころから徐々にメジャーになってきたイメージ。

私が小学生のころは、選ばれた本屋の端の小さいスペースにだけ同人誌というのが並んでいて、そこがBL本の居場所だったと思う。

そこから徐々にスペースが広がって、内容もエロばっかりだった(と思う)ものから、清いものも増えて、、という流れだと思う。

 

正直、こんなタイトルでブログを書いたくせに、私は積極的にBL本を読んでない。なので、おススメとかはない。

 

でも、私も腐女子になる得ると思ったきっかけがある。

花ざかりの君たちへ

というマンガを読んだことだ。

 

イケパラのドラマの原作で人気の作品。

(私はドラマは一切見なかったので、内容の差があるか分からない。)

漫画では、保険医の梅田という先生がゲイで、彼の過去の話で同性愛のエピソードがあった。それがもう、少女マンガを読んでる時と同じか、もしかしたらそれ以上の【キュン】を私に与えてくれた。

 

その瞬間から、私はBLの作品が好きな自分を認識した。

私は、多くの女は、腐女子になりうると思っている。

 

私は、男性が好きだ。異性愛者だ。

 

男の人が、誰かを好きになって、愛して、愛されて、傷つけて、傷つけられて、嫉妬をして、

結ばれて。

そんな姿を愛おしいと思う。

 

BLではそんな愛おしい男性が、少なくとも2人以上出てくる。

そんなの好きに決まっている。

 

え、

好きに決まってない??

 

 

なぜBLが好きだと腐女子と呼ばれるのだろう。

腐ってなんかないし、当然好きじゃないか?と思う。

 

男を愛していて、少女漫画のヒーローに惚れている。男が誰かを愛する姿を愛おしいと思う。

そしたらBLなんて、大好きに決まってない??

 

私は腐女子と名乗るにはおこがましいくらい、BLに対するオタクな知識はない。

でも、少年マンガや少女マンガと同じように、文化の1つとして、オタクが現れるには十分すぎるほど、BLには美しいストーリーの可能性があると思っている。

 

ハマるかもしれないから、素晴らしい世界が広がっているかもしれないから、

全女子に、一度BLのストーリーを体験してほしい。