ギリギリの生活の繰り返し

桜が綺麗です。3月30日。

これは本当に中身のない日記。

 

 

睡眠時間が足りない。

クマもひどいし、瞼が重い。

頭はこめかみをずっと押されているような鈍痛が続いている。

浮腫んだ足で職場に向かう土曜日の朝。

 

アラサーになって、こんなギリギリの生活をしているなんて考えられなかった。

体力もギリギリだし、体と一緒に心もギリギリ。

 

思えば、心に余裕のある生活をしていたのは、小学生までの時と、大学の1.2年生の間だけだった気がする。

 

人生のほとんどはギリギリの生活。

きっとこれからもそうなんだろう。

 

 

ギリギリって、

辛うじてセーフ

なんとか耐えている状態

余裕が皆無

という意味なんだけれども

 

私は、時間もないし、心身ともに余力がないし、お金もない。

だからギリギリ。

 

ギリギリじゃなくて、アウトになってしまったらどうなるだろう。ギリギリを超えてしまったらどうなるだろう。

病気になっても、仕事を失っても、家族を失っても、借金があっても、そのために生活が破綻してしまっても、どうにか生きていけるのが日本だ。

どこからがアウトなんだろう。

 

何らかの部分が向上していたら余裕がある?

現状維持しか出来ない状態がギリギリ?

状態が悪化していたらアウト??

 

今までの生活を振り返ると、肉体・精神・経済・家族のどこかがアウトになってしまったことなんてたくさんある。

幸い、全部がアウトになったことはない。

 

今は、現状維持が精一杯だからギリギリ。

 

 

仕事を終え、空いている山手線に乗って帰る土曜日の夜。朝飲んだリポDの効果は、とっくになくなっている。眠い。すごく眠い。

足が疲れた。頭はぼーっとして働かない。

 

 

人生のほとんどはギリギリの生活。

きっとこれからもそうなんだろう。

そしてそのギリギリの生活を送る人々はみんな、「普通の人」と言われる人たちなんだと思う。

 

普通って大変だ。

普通って立派だと思う。