脱毛は涙が出るくらい痛くても価値がある

就職して1番はじめにやりたかったこと。

自分でお金を稼げるようになったら欲しかったもの。

普通の人は覚えているだろうか。

 

私はそれが脱毛だった。

 

体毛でブログが1つ書けるくらい、私にとっては執念深い問題だ。

 

 

首から下+VIOの医療脱毛。

総額約40万円。自分のお金ではじめて組んだローンはこれだったと思う。

 

できるだけ安いところを探して、それでもこの金額。もちろん高いと思った。

でも、毛が生えてこないということには、これくらいの価値があると、心から思う。

 

 

思春期に毛が生えているなんてサイテー

中学生のころから、腕や脇や足に毛が生えていることが、嫌で仕方なかった。

特に足の膝から下。

毛が濃かったので、夜に剃刀で剃っても、次の日の昼には黒くポツポツと出てきていた。触るとザラザラとした。

 

今考えると、気にしすぎだったのかもしれない。よくよく見ないと、黒いポツポツなんて見えなかったのかもしれない。

でも、当時の私からしたら間違いなく、毎日の憂鬱の要因だった。毎日、毛のとこで悩んでいた。

 

ショートパンツもミニスカートも履きたかったけれど諦めた。生脚なんて出せない。

毛が薄ければ良かったのにと、1日のうちに何度考えたか分からない。

それくらい毛が憎かったし、体毛が濃い自分のことも嫌いだった。

 

 

医療脱毛

就職してすぐ、4月の時点で、脱毛エステに話を聞きに行った。エステでは通う回数が多いのに、予約も取りにくくめんどうだったので、医療脱毛にすることにした。

自分の住んでいるところには、安い医療脱毛がなかったので、わざわざ遠くの病院まで電車で1時間かけて行き、契約をした。確か6月だった。

 

エステは経験していないので比較はできないけれど、今となっては医療にしてよかったと思う。

痛みが強い代わりに、数回で効果が目に見えて分かる。お金を出した価値があると思えた。

 

ただ、痛いのは本当に痛かった。

 

医療脱毛の機械としては、痛くないものだったと思う。 実際、毛が薄くなってきたからの照射は、痛いどころか気持ちいいくらいだった。

 

でも、はじめの2回までは、マジで痛い。

毛を数十本まとめて引っこ抜かれるのより痛いと思う。

特に、VIO、足のすね、脇。

VIOは表皮麻酔を使ったけれど、それが効いていてもめちゃめちゃに痛かった。

痛みで冷や汗は出るし、声は出るしだった。

生理現象的な涙が出るほどの痛みだった。

 

でも、辞めたいとは思わなかった。

それくらい毛が嫌だった。

痛みを我慢すれば毛がなくなるなら、我慢しようと思った。

 

 

自分の金で解決できる悩みは解決すべし

私の場合、脱毛だったけれど、

これが整形だったり、AGA治療だったりする。

もしくは服だったり化粧品だったりする。

 

整形をする人なんて、もっとお金をかけて、もっと痛くてつらい思いをしているんだから、本当に尊敬する。

お金をかけるのも、痛い思いをするのも、誰もバカにできるはずない。人生を豊かにするための自己投資なんだから、尊敬されるべきだと思う。

私なんか、脱毛したことだって褒めて欲しいのに。

 

 

今、間違いなく言えるのは、

自分の金で解決できる悩みは、まわりがなんと言おうと解決すべしということだ。

 

毎日毛に悩まされる時間なんて、無い方がいい。毛で悩んだことが、人生のプラスになることなんて、ないだろう。そんな悩みは早めに消してしまったほうがいい。

 

 

私は毛が無くなったからといって、決して人生が変わったわけじゃない。毛がないから彼氏ができたかとか、そんなことはないし、毛がないから足が綺麗になったということもない。

 

でも毛がない人生の方が、

毛がない私の方が、私は好きだ。

 

自分をほんの一部でも、前より少しだけでも、愛せる方がいいに決まってる。

 

私にとって脱毛には、人生の中でも大事な、価値のある出来事。

昔好きだった本や漫画は捨てられなかった

実家にある元自分の部屋。

 

先日、実家に帰った時に整理をしようと思いたち、雑多ものをゴミ袋に入れていた。

 

この部屋には、高校を卒業する時、大学を卒業する時、転職の時など、それぞれのタイミングで次の生活には必要ないけど捨てられなかったものを置いていた。

要するに、何年も私にとって必要でなかったものたち。

その時捨てられなかったものたち。

今の私なら捨てられるものがたくさんある。

自分へのお土産で買った海外の雑貨、大学の書類、サークルのノート、など。

手に取ると、当時なぜそれを大切にしていたのか思い出す。懐かしみながら、しかし、躊躇なくゴミ袋に入れる。私は何度も引越しを繰り返すうちに捨てるのが上手になった。

 

昔もらった手紙も、たくさん捨てた。

「今までありがとう」「これからも頑張ってください」

こういう手紙を躊躇なく捨てられるのは、私が冷たい心の持ち主だからか。

 

でも捨てられない手紙もあった。

中学生の時にやり取りしていた手紙。授業中に手紙を書いて交換する、手紙交換が流行っていた。

「実は昨日、Aくんと手を繋ぎそうになったんだけど、ちょっと手が触れただけで終わってしまいました↓↓Aくんはやっぱりちょっと子供っぽい。でも、好きなんだよね///  H/K今日の給食は揚げパンだよ!」

みたいな。すごく昔の誰かの感情。

 

いつかの誰かの感情がある手紙は捨てられなくて保留。データ化して取っておくような物じゃない。手紙としてそこにあって、私の人生に関係がないという存在が愛おしい。

 

 

他に捨てられないものといえば、漫画や本はゴミにはできなかった。

いつか売ろうと思って保留にしてきてしまった。次回の課題だ。

 

本を手に取ると、その本を好きだった過去の自分が出てくる。

それを読んで、私の感情が動いたことを覚えている。

 

何に好意を抱き、何に嫌悪するのか

どんな人に憧れるのか

反抗することの爽快さ

私には出来ない事への尊敬

同じような気持ち、共感

回答のない問題

どうすることもできない悩み

 

本や漫画は、間違いなく私を作っている。

 

本に籠っている当時の自分。

今振り返る当時の自分は、気持ち悪いけれど、少しだけ愛おしい。

そして感謝している。

 

中間テスト前日に一気に読んだ『ネバーランド

夏休みに部屋に引きこもって読んだ『黄色い目の魚』

憧れて繰り返し読んだ『僕は勉強ができない』

 

今の私に共感できるか分からない。

でも確実に、それを好きだった昔の私がその本に何か一種の怨念のようなものを残している気がする。そしてそのために捨てられない。

 

キレイな感情ではないけれど、

本当に、怨念のような、残る感情。

 

 

 

と、いうことで、

少しずつ片付けられるようになってきたけれど、まだまだコンマリになるには修行が足りないみたいだ。

 

 

 

「青いベンチ」のノスタルジーに浸る

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この声が枯れるくらいに

君に好きと言えばよかった

 

この曲がリリースされたのは2004年。

私は中学生だった。

好きな曲のCDは買う時代だった。

私はこの曲が入ったアルバムを近くのゲオでレンタルして、MDに落とし込んで聴いていた。

 

この曲を聴くと必ず思い出すことがある。

 

 

憧れていた青山先輩が、この曲が好きだった。

よく口ずさんでいるのを知っていた。

 

青山先輩は、野球部のキャプテンで、生徒会に入っていて、学校でも目立っていた。

青山先輩が付き合っていた彼女は、可愛くて明るいバスケ部の先輩だった。

 

二人はお互いに部活が終わるのを待って、校門から出てすぐの裏道みたいなところで、手をつないで、少し話をしてから帰っていた。

全校生が知っているカップルだった。

 

誰が見てもお似合いの理想のカップルで、

恋愛経験のない私からしたら大人に見えて、キラキラしていた。

青山先輩のことは思わず目で探してしまうくらいには好きだったけれど、その二人がお似合いすぎて、付き合いたいとは全く思わなかった。

 

中学生にしては長くて、その二人は1年くらい付き合っていて、中学3年生の秋くらいに別れた。

 

卒業式の日。

卒業生が、後輩たちへのメッセージを書くボードがあって、友達と見に行った。

青山先輩のメッセージには

 

「この声が枯れるくらいに

君に好きと言えばよかった。

みんなは後悔しないで!!」

 

と、書かれていた。

 

 

青い!!!青いよ!!!!

 

今考えると青臭くて、愛おしい。

青山先輩は恋愛に酔っていたんだなーと思う。

 

でも、青山先輩に憧れていた当時の私は、胸キュンが止まらなかった。

あんなに素敵な先輩が、終わった恋に傷ついている。なんて切ないんだろう。

と、思っていた。

 

全校生徒に向けて少女マンガ的恋愛を公開してくれた青山先輩はとても偉大だし、当時は本当にかっこいいと思っていた。

 

 

時が経ち、こんなに捻くれた大人になってしまった。

でもこの曲を聴くと必ず青山先輩を思い出すし、あの時のキュンを思い出す。

 

この声が枯れるくらい好き言えばよかった恋愛はあったかな、、、、

 

 

 

ないな。

 

 

 

誰かの誕生日

今日は、中学生の時すごく仲が良かった友達の誕生日だ。

 

中学2年生の時は親友だった。

 

移動教室は一緒に行き、毎日手紙交換をしていた。休み時間は2人でベランダに出て内緒の話をした。先生の文句を言い合っていたし、彼女が理不尽に怒られて悔しくて泣いたこともある。彼女の恋心の微妙な変化を、彼氏よりも知っていた。何十枚ものプリクラは未だに残っている。ケンカは一度もしたことがない。一瞬も嫌いになったことはない。

 

けれども、今は全く連絡をとっていない。

 

今どこに住んでいるのか分からないし、何をしているのかも分からない。

最後に会ったのはたぶん、成人式だと思う。

 

こうやって自然消滅してしまう友人関係が、過去にはたくさんある。

すごく仲が良くて、夜通し話していたような関係でも、連絡先も知らないことがある。

恋愛と同じで、友情だって、永遠とは限らない。

 

 

かつての親友との関係が終わってしまって、寂しいかと聞かれたら、全く寂しさはない。

それくらい、今の私にとって存在感は薄い。

 

でも、未だに誕生日を覚えているなんて、不思議なことだとおもう。

いつかとても大切にしていたことは、いつまでも忘れないのかな。

 

 

今日、おそらく日本のどこかで、

彼女は誰かに誕生日を祝われている。

 

13年前、少ないお小遣いの中から、ディズニーのメモ帳と少し高いシャーペンを買って彼女に渡した。それが私の精一杯のお祝いだった。

 

今日、彼女は、誰に何をもらうだろう。

 

私はもう親友じゃなくなってしまったけれど、

LINEすら送る関係じゃなくなってしまったけれど、

自分がいつか大切だと思っていた人が、どこかで幸せであるといいなと思う。

 

 

誰か私にSK-Ⅱを買ってよ

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SK-Ⅱの広告は豪華だ。

有名な女優さんを何人も起用し、テレビCMから渋谷駅前の広告から、男性の方でも目にしたことがあるのではないだろうか。

 

しかし、そんな知名度の高いSK-Ⅱは、試してみよ〜という気持ちで買えるほど安いものではない。と、言うか、めちゃ高い。

化粧水だけで(160mlで)17000円。

 

男性諸君は、彼女や奥さんがSK-Ⅱを使っているのを見たら、金持ちか、もしくはよっぽど美容に気を使っていると思って褒めてあげるといいと思う。

 

そしてここまで有名な高価な化粧品は、実際に使ってみたいので、

誰か私にSK-Ⅱを買ってください。

 

 

美人にはなれないのに

生まれた時から既に美人にはなれないと決まっている人生がある。私の人生だ。

美人と言われたことはないし、スタイルも良くないし、女だからってイージーモードだと思ったことはない。

 

そんなレベルの顔面の私が、なぜ高いお金を出してまで化粧品が欲しいと思うんだろう。

 

メイクによって上がる魅力度は、わずか2%らしい。(ソース不明。おそらくホンマでっか!?TV)

たったそれだけ。

5000円のファンデーションで肌をツルツルにしても、4000円の口紅でエロい唇を使っても、6000円のハイライトで鼻を高く見せても、

私の魅力はたった2%しか上がらないらしい。

世知辛い世の中だ。

 

もともとの魅力度が低かったら何の足しにもならない。

メイクの現実は、事実、そんなものだと思う。

 

それでも良い化粧品が欲しくなるのは、本当に自己満足の世界だ。

 

 

自分の気持ちはいつもよりマシマシ

自己満足の世界において大切なことは、自分の気持ちが上がることだと思う。

 

めちゃかわいい色の口紅を付けるだけで、私の気持ちはマシマシになる。

いつもより肌がきれいなだけで、自信がつく。

高い化粧水を使っているだけで、女度が上がった気がする。

 

そうやって自分の気持ちがマシマシになるだけで、その日1日が楽しい日になったりする。

 

自分の顔が鏡に映るたびに、

今日毛穴ないじゃん!

今日のまつげめっちゃ上がってるじゃん!

今日の口紅落ちてないじゃん!

とテンションが上がる。

テンションが何度も上がる1日なんて、楽しい日になるに違いない。

 

良い化粧品がもたらしてくれるのは、

他人から見た魅力が上がることじゃない。

モテることじゃない。

 

自分の人生がちょっと楽しくなることだ。

 

明日からまた、化粧品にお金をかけていこう。

そして誰か、私の人生を豊かにするために、私にSK-Ⅱを買ってよ。

 

 

 

 

 

VOGUE VIDEO 「どうして浮気したの?」から浮気の悪を考える

 

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https://youtu.be/T8zwvsuabQE

https://youtu.be/5FQkIuzq30g

 

 

見る前に注意して欲しいのは、これは確実に胸糞動画だということだ。

特に浮気された経験のある人は、浮気された側に感情移入してしまうと思う。

ただ、浮気した経験のある人は、苦い思いしてでも見て欲しい。

 

 

「どうして浮気をしたの?」

どちらの動画も、男性が浮気をした側、女性が浮気をされた側だ。

 

本当に胸糞なんだけど、男性は、女性側の問題や2人の関係性、価値観の違いなどを言い訳として述べている。

 

「全てお前が悪いんじゃろうが!!!」

 

と、完全に部外者のくせに憤りを感じずにはいられない。

しかしこの動画の趣旨は、男性に言い訳を述べさせるというところにあるので、ここは堪える必要がある。

 

女性たちは涙を流しながら静かに話を聞いている。しかし恐らくこの女性たちも、恋人関係にあるうちは自分の思いの丈を相手に伝えていたのだろう。

「人のせいにしないで」「あなたが信用できないから悪いんでしょう」「なぜ私と向き合ってくれなかったの」「私のことが大切じゃないってことでしょう」、、、

 

この女性たちが静かに話を聞くことができるのは、浮気から少し時間が経ち、

・もう言いたいとは言いたくした、怒りは十分にぶちまけた

・言いたいことを言ってもアホには伝わらない、問題は解決しない

と気づいたからだと思う。

 

 

 

浮気を問い詰める時は、怒り狂うより、静かに泣いていた方がいい

 

作用・反作用の法則

 

誰しも義務教育で教えてもらっている。浮気の話し合いも正にこれだと思う。

言い合いのバランスが均衡していたら、ただの衝突になってしまう。怒りしか出てこない。

もちろん、いったん怒りをぶつけなければ気は済まないと思うし、そうする時間も必要だと思う。しかし怒りをぶつけてもスッキリしないことの方が多い。

 

 

言ってやりたい500万個の正論や罵倒を抑えて頷きながら静かに泣く。

 

すると相手も、自分が相手を傷つけてしまったと気付く。自分の非を振り返り始める。言い合いなんかしなくても、悪いのは圧倒的に浮気をした側なのだから、とりあえずはその事を認識してもらうことが必要だ。

 

 

浮気をされていちばん相手にわかって欲しい事は、自分は傷ついたということ。

 

痛みを理解できる浮気野郎はいない。

これが分かるのは、浮気された事のある人だけだ。

しかし、この痛みを伝えなければならない。

浮気が悪いことであるのは、浮気はパートナーを傷つけるからだ。

浮気した側が様々な理由を述べても、傷つけた加害者であることは事実だ。

 

 

傷つけた、傷つけられたの確認をした上で、

今後の2人の関係性を考えなければならない。お互いに、関係を続けていきたいのか、それとも終わりにしたいのか。

 

ちなみに、私のオススメは別れることですが。

 

相手が傷つくことを平気でするような人は、想像力にかけてる。人の痛みが分からない上に、たぶん恋人のことを好きではない。

 

ただ、別れる以外の選択肢の可能性があるのならば、この動画のように、浮気をされても喚かず怒鳴らず、静かに話し合う時間が必要だと思う。

 

 

 

「どうして浮気をしたの?」

あらためて、

こんなに辛い質問があるだろうか?

浮気した側だって、たいした理由なんてないに決まっている。

全て、パートナーと真摯に向き合えなかった言い訳としか思えない。

 

 

この動画を見て鑑賞に浸りながら、

改めて浮気の悪について考えてしまった。