実家にある元自分の部屋。
先日、実家に帰った時に整理をしようと思いたち、雑多ものをゴミ袋に入れていた。
この部屋には、高校を卒業する時、大学を卒業する時、転職の時など、それぞれのタイミングで次の生活には必要ないけど捨てられなかったものを置いていた。
要するに、何年も私にとって必要でなかったものたち。
その時捨てられなかったものたち。
今の私なら捨てられるものがたくさんある。
自分へのお土産で買った海外の雑貨、大学の書類、サークルのノート、など。
手に取ると、当時なぜそれを大切にしていたのか思い出す。懐かしみながら、しかし、躊躇なくゴミ袋に入れる。私は何度も引越しを繰り返すうちに捨てるのが上手になった。
昔もらった手紙も、たくさん捨てた。
「今までありがとう」「これからも頑張ってください」
こういう手紙を躊躇なく捨てられるのは、私が冷たい心の持ち主だからか。
でも捨てられない手紙もあった。
中学生の時にやり取りしていた手紙。授業中に手紙を書いて交換する、手紙交換が流行っていた。
「実は昨日、Aくんと手を繋ぎそうになったんだけど、ちょっと手が触れただけで終わってしまいました↓↓Aくんはやっぱりちょっと子供っぽい。でも、好きなんだよね/// H/K今日の給食は揚げパンだよ!」
みたいな。すごく昔の誰かの感情。
いつかの誰かの感情がある手紙は捨てられなくて保留。データ化して取っておくような物じゃない。手紙としてそこにあって、私の人生に関係がないという存在が愛おしい。
他に捨てられないものといえば、漫画や本はゴミにはできなかった。
いつか売ろうと思って保留にしてきてしまった。次回の課題だ。
本を手に取ると、その本を好きだった過去の自分が出てくる。
それを読んで、私の感情が動いたことを覚えている。
何に好意を抱き、何に嫌悪するのか
どんな人に憧れるのか
反抗することの爽快さ
私には出来ない事への尊敬
同じような気持ち、共感
回答のない問題
どうすることもできない悩み
本や漫画は、間違いなく私を作っている。
本に籠っている当時の自分。
今振り返る当時の自分は、気持ち悪いけれど、少しだけ愛おしい。
そして感謝している。
中間テスト前日に一気に読んだ『ネバーランド』
夏休みに部屋に引きこもって読んだ『黄色い目の魚』
憧れて繰り返し読んだ『僕は勉強ができない』
今の私に共感できるか分からない。
でも確実に、それを好きだった昔の私がその本に何か一種の怨念のようなものを残している気がする。そしてそのために捨てられない。
キレイな感情ではないけれど、
本当に、怨念のような、残る感情。
と、いうことで、
少しずつ片付けられるようになってきたけれど、まだまだコンマリになるには修行が足りないみたいだ。